2005年11月23日

ロックフェラー

ニューヨークのマンハッタンの中心部にあるロックフェラー・プラザで

毎年クリスマスシーズンになるとニューヨーク名物の巨大なクリスマスツリーが

飾られ、テレビで見たり、観光で訪れたりした事がある人が多いと思います。

私もロックフェラーのクリスマスツリーの前で、嫁と一緒に写真を撮りました。

取った事がある人はご存知だと思うのですが、写真を撮るために

皆一列に並んでいるのですが、自分の前に並んでいる人が自分達の写真を撮り、

自分達が後ろに並んでいる人に自分達の写真を撮ってもらうんですよね(^^


このロックフェラー財閥を作った人は、ロックフェラー1世です。

彼の財閥を築くまでの人生は、こんな感じでした。

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ジョン・ディヴィッドソン・ロックフェラー

(ロックフェラー1世の正式な名前)は、 ビンガムトン(Binghamton)の

北西20マイルほどのニューヨーク州ティオガ郡リッチフォードに

6人の子供の2番目として生まれた。

父の職業は、馬車を使った薬売りだったらしい。

そして、16歳の時に穀物仲買人の会計係として働き始めた。

19歳の時に、彼はモーリス・B・クラークと

共にクラーク・アンド・ロックフェラー社を設立し、同社は1862年に

製油会社に投資を行った。しかしクラークと対立したロックフェラーは、

1865年に持ち株をクラークに売り払ってパートナーシップを解散し、

精油事業(彼の会社が持っていた精油所は、処理能力が1日に原油

500バレルであった。)を72,500ドルで買収した。その買い取った権利を

基にロックフェラー・アンド・アンドリュース社を設立した。

さらに同年、第二の精油所スタンダード・ワークスを設立し弟の

ウィリアム・ロックフェラーを社長にした。しかし、この頃から鉄道会社から

リベートを受け取るようになる。1867年にロックフェラー・アンド・

アンドリュース社はこの精油所を吸収し、ヘンリー・M・フラグラーが

経営に参加した。さらに規模を拡大するために、1870年にロックフェラー兄弟と

フラグラー、アンドリュース、スティーヴン・V・ハークネスがスタンダード・

オイル社(オハイオ)を創設し、ジョン・D・ロックフェラーが社長に就任した。


スタンダード・オイル

1870年代の初めにアメリカ製油業史上における二人の開拓者、

チャールズ・プラットとヘンリー・H・ロジャーズはサウス・

インプルーブメンント社との不名誉な闘争に巻き込まれることとなった。

それはペンシルバニア鉄道(PRR)および他の鉄道会社から秘密裏にリベートを

受けとったことに関するものであった。ロックフェラーとサウス・

インプルーブメンント社の共謀はペンシルバニア州西部の独立した石油採掘業者

および製油業者の憤慨を呼び起こした。

ニューヨークの精製業者によるサウス・インプルーブメンント社に対する

反対活動はロジャーズによって率いられた。ニューヨークの精製業者達は

協会を組織し、1872年の3月中頃にチャールズ・プラット・アンド・

カンパニーの代表としてロジャーズを含む三名の委員をオイル・シティの

石油業者組合の顧問に送り込んだ。彼らの油田地帯への到着は大きな満足となった。

彼らはペンシルバニアの独立石油業者と共に、PRRおよび他の鉄道会社から

サウス・インプルーブメンント社との疑わしい取引を終了すると約束する

協定を取り付けた。石油業者達は満足したが、その喜びは短期にしか

過ぎなかった。ロックフェラーは既にスタンダード・オイル社を組織し始め、

他のアプローチに忙殺されていた。その中には反対者の買収も含まれていた。

その後はカルテルの経験から買収を進め、企業協定ではなく企業合同を

実現させようとした。しかし、巨大化していく過程で法的障害を抱えるようになった。

これは法人化した企業は法人格の付与を行った州の外では資産が

所有できないというものである。そこで、主要な事業をしている州すべてに

別個にスタンダード・オイル社を設立した後トラスト協定を書き上げ、

それらの会社の株式を受託者に預託し、株式を共通化した。

そして、その預託者による理事会を創設して巨大なグループにまとめあげた。

さらに、グループ経営を円滑にするために経営委員会を設置した。

この経営委員会が理事会にかわってグループの実際の経営を行った。

この委員会の下には輸送やパイプラインなどを担当する専門委員会があった。

ロックフェラーは協力と統合の計画を持ってチャールズ・プラットに接近した。

プラットはロジャーズとロックフェラーの提案について話し合い、

彼らは統合が利益になると判断した。ロジャーズは条件を文書化し、

それはプラットと自分への金融的保証と仕事を保証した。

ロックフェラーはロジャーズの申し出を受け、チャールズ・プラット・

アンド・カンパニー(アストラル・オイルを含む)はロックフェラーの

事業に加わる重要な独立製油業者の一つとなった。プラットの息子、

チャールズ・ミラード・プラット(1858 - 1913)はスタンダード・オイルの

重役に就任した。ヘンリー・H・ロジャーズはロックフェラーにとって

重要な人物の一人となった。


市場の独占

スタンダード・オイルは、徐々にアメリカ国内で石油生産の支配権を獲得した。

巨大な利益を消費者に還元せず高価格で販売し続けたそのビジネス手法は

広く厳しく批評された。批判の声は各州で独立製油業者が組織し始めた

1882年まで増加した。そして数年後には、スタンダード・オイルは

反トラスト運動の格好の目標として攻撃された。特に1904年のイーダ・

ターベルによる『スタンダード・オイルの歴史 The History of the

Standard Oil Company』出版後にはその攻撃の声は高まった。

その後も着々と同業者の買収を進めていき、原油生産から石油精製、

小売に至る石油に関する全部門を支配した。その結果、スタンダード・

オイル社は石油市場の90%を支配するに至った。しかし、世論は次第に

「反独占」「反トラスト」へと向かい、1890年にシャーマン反トラスト法

が成立し、政府も世論と同じ態度を取るようになり、スタンダード・オイル

に対して反トラスト訴訟を起こし、1892年にオハイオ最高裁判所から

トラスト協定を破棄すべしとの判決を受けた。しかし1889年に

ニュージャージー州で州内の法人が他の法人の株式の所有を認める法律が

成立したため、この法律を使い再編成が可能となった。それはトラストを解体し、

ニュージャージー・スタンダード・オイル社に全米にある系列会社の

株式の全部又は大部分を所有させ、合法的な持ち株会社にすることであった。

この再編成の結果、全国規模の事業展開が可能になる上、トラストに対する

攻撃に対しての緊急避難口となった。

しかし、スタンダード・オイルに対する批判や訴訟は依然として多く、

ついに1911年5月15日にアメリカ合衆国最高裁判所は、スタンダード・

オイル(64%の市場占有率を保持した)が市場を独占していることで

解体命令を下し、同社はおよそ37の新会社に分割された。現在あるエクソンモービル、

シェブロンは旧スタンダード・オイルが前身になっている。

ロックフェラーは1895年に事業から引退したが、1911年まで社長の職に在籍した。

かつて彼には、鉱山およびスペリオル湖での鉱石運搬船を含む大きな

製鉄会社を保有していたが、彼はU.S.スチール社にそれらを売却した。

さらに彼はチェース・マンハッタン銀行に重要な役割を果たした。

1901年までに彼には約9億ドルの資産があり、当時の世界における最も

裕福な人物であったと考えられる。インフレのために調節された彼の純資産は、

現代の億万長者トップ20人中に入る。しかしながらアメリカ経済を

当時のサイズに調節すると、彼の純資産は今日の億万長者の全てを

矮小にしてしまうであろう。2001年にロックフェラーの財産は現代の価値に

換算すると2,000億ドルにも上るだろうと推測された。

家族

ロックフェラーは1864年9月8日にクリーヴランドで教師のローラ・

セレスティア・スピールマン(1839-1915)と結婚した。

夫妻は四人の娘と一人息子をもうけた。ベシー(1866 - 1906)、

アリス(1869 - 1870、幼くして死んだ)、アルタ(1871 - 1962)および

イーディス(1872年8月31日 - 1932年8月25日)の四人の娘と、

末っ子の一人息子ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア(1874-1960)。

慈善活動と遺産

ロックフェラーは強いバプテスト信仰に従い慈善事業への寄付を常に行った一方、

その評判は事業活動を行っていた間芳しくなかった。彼は1910年3月3日に

事業管理からの引退を公表し、慈善活動に没頭した。

彼はその死までに約500,000,000ドルを慈善に投じ、公のイメージは

良いものとなった。彼は初期の科学的な医学研究への最大の個人的後援者

として著名である。彼は1890年にシカゴ大学を創立し、1901年には

ニューヨークにロックフェラー医学研究所(現在のロックフェラー大学)

を創立した。また1902年には一般教育委員会、1913年にはロックフェラー財団、

1918年にローラ・スピールマン・ロックフェラー記念研究所を設立し、

同様に他の機関にも多くの寄贈を行った。彼の500万ドルの寄付は

グレート・スモーキー山脈国定公園設立の支援となった。

ロックフェラーは一族に大きな贈り物を与え、とりわけ息子の

ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアには多くを与えた。

それは一族を20世紀のアメリカで最も豊かで最も影響力を持つ一家とした。

彼は1937年にフロリダ州のオーモンド海岸で死去したが、そのとき巨額の財産の

ごく僅かしか持っていなかった。

ロックフェラーの孫、ネルソン・ロックフェラーはジェラルド・フォード大統領の

下で副大統領に就任し、もう一人の孫ウィンスロップ・ロックフェラーは

アーカンソー州知事に就任した。彼の曾孫ジェイ・ロックフェラー

(ジョン・D・ロックフェラー四世)は現在アメリカ合衆国上院議員である。

ヨーロッパで人気のあるディズニーキャラクターのジョン・D・

ロッカーダックは、ロックフェラーの慈善事業に因んで命名された。

ロッカーダックは通りにいる人たちに光る新しい硬貨を分け与える習慣を持っている。

(BY ウィキペディアフリー百科事典)
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財閥となった礎のポイントは、


石油王!!



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もっと詳しく、ロックフェラーの事が知りたかったら、違った側面からロックフェラー

を見ているサイトも一緒にご紹介します。

マンハッタンを歩く:「石油王」ロックフェラー一族

エンジュク・メーリングリスト

老人税の要約

ロックフェラーVSロスチャイルド

にも詳しく書いていますので、読んでみてください。

楽しい休日をお過ごしください(^^

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posted by マネープラス at 11:00 | TrackBack(0) | 世界の財閥 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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